(※以下の文章は、『週刊ファミ通』437号に掲載された風のように永田さんのエッセイ記事「『ゼルダの伝説 時のオカリナ』インプレッション」を元に、主に中段のセクションを書き換えたものです。)
『ドラクエ5』について正面から書くことはとても難しい。たとえば何について書くだろう。どの感動を記すだろう。システムだろうか。演出だろうか。堀井さんの発言を引用しようか。個人的なエピソードを挙げようか。ゲーム史における役割について分析しようか。ゲーム本来の楽しさについて言及しようか。絶妙なシナリオについて、あるいはユニークなキャラクターについて、もしくはゲームとぴったり寄り添いその世界を豊かに潤わせる音楽について。言葉はあふれだすが本流を持たない。限られたなかで魅力を述べるなら、”筆舌に尽くしがたい”とでもいうしかない。『ドラクエ5』について書くということはとても難しい。だが、強い思いは体裁を顧みず滲み出てくる。日々遠のきつつある『ドラクエ5』からの距離、数字のみで語られる『ドラクエ5』への評価、斜に構えた『ドラクエ5』評に反して盛り上がる『ドラクエ5』談義。だから僕は『ドラクエ5』について書こうと思う。忘れないうちに、矢も盾もたまらず筆舌を尽くそうと思う。たぶんここからには、僕が『ドラクエ5』を好きだということ以外何も書かれていないし、ある意味批評的な側面すらない。つまりこれは、真夜中に書かれた手紙のようなものでしかないのだけれど、僕はそれを投函しようと思う。おそらく、僕はそれを後悔しないと感じるのだ。
たとえば僕はパパスとの二人旅が好きだ。戦闘が終わるたびに、パパスが「大丈夫か?」と言って、いちいち回復してくれるのが、うっとうしいなあとか思うけれど好きだ。ひらがなしか読めない子ども時代のビアンカが好きだ。ダンカンのおかみさんがドット絵なのに厚化粧っぽくて好きだ。永遠にくりかえされる、オバケ退治の夜が好きだ。妖精が自分だけに見えるのが好きだ。妖精の国にしんしんと降り積もる、まっしろな雪が好きだ。「まあなんてかわいらしい戦士さまですこと」と言いながら、それでも用事を言いつけてくるポワンさまが好きだ。いつも頭のてっぺんの髪の毛の逆立っていそうなヘンリー王子が好きだ。「そして10年の月日が流れた……」の文章は、はじめて見たとき背筋に寒気が走ったくらいショックだったけれど、好きだ。タルに乗って脱出するのが好きだ。海辺の修道院が好きだ。カボチ村もさいしょは嫌いだったけど好きだ。ルラムーン草の何をどうしたらルーラが使えるようになるのかわからなくて好きだ。フローラとの出会いのシーンが好きだ。ビアンカとの再会のシーンも好きだ。水のリングのある滝の洞窟が好きだ。結婚前夜、ふらふらと町をさまよい歩くのが好きだ。ビアンカが眠らずに窓から夜空を眺めているのが好きだ。たまにはフローラを選ぼうと思い、せっかくそうしたのに、一時間くらいして「やっぱり違う!」とリセットを押して前のセーブデータに戻るのが好きだ。あるとき、妖精の姿を見ることができず、いつのまにかおとなになっていた自分に気づかされるのが好きだ。何気ない人々のひとつひとつのセリフが好きだ。入浴中のひとに話しかけるのが好きだ。双子の男の子の「わー! あなたがボクのお父さんですね!」が好きだ。石にされていたビアンカの呪いを解いたときに、男の子はえんえん泣いてビアンカに甘えるのに、女の子は「お母さんがこんなにきれいな人だったなんて……。お父さんもけっこうすみにおけないわね」なんて、みょうにクールなのが好きだ。ビアンカの「ねえ ○○…。ふしぎだと思わない? 私は小さい頃お父さんやお母さんはずっと昔からお父さんお母さんなんだって思ってた。でもみんなこうしてお父さんやお母さんになっていったのね」とかもう、好きだ。ブーメランでモンスターのグループをいっぺんにやっつけるのが好きだ。新しい大陸で、はじめて出会ったモンスターとの最初の戦闘が好きだ。いきなりザラキを使われてぎょっとするのが好きだ。お店の裏からまわりこんで、カウンターの中にある宝箱を開けるのが好きだ。はぐれメタルをやっつけるのが好きだ。ことに会心の一撃で倒すのが好きだ。不必要にレベルを上げて次の町を目指すのが好きだ。小さな島にぽつんと立っている立て札を読むのが好きだ。塔の最上階から飛び降りて、いっきに下まで落ちるのが好きだ。ルーラを唱えて、天井にごつんと頭をぶつけるのが好きだ。さいごのカギを手にいれて、今まで立ち寄った城や街を再度たずねあるくのが好きだ。最強の装備をそろえるのが好きだ。平原を歩くのが好きだ。船旅が好きだ。マスタードラゴンの背に乗って空を自由に飛びまわるのが好きだ。ステータスウィンドウの主人公の肩書きが、どんどん移り変わっていくのが好きだ。まっくらな画面に映像がうかびあがって、おなじみのあの音楽がスピーカーから流れだしてくる瞬間が好きだ。オープニングが好きだ。エンディングが好きだ。ビアンカのせつない表情が好きだ。パパスの笑いかたが好きだ。ドレイになって石にされてモンスターをひきつれて旅する無口で苦労人の主人公が好きだ。
やっぱり、言葉はあふれて本流を持たない。そして何かを好きだと表わすことはとても難しく、とてもとても恥ずかしい。しかし、それらの体裁を顧みず滲み出る強い思いを信じずして何を信じるというのだろう。僕は『ドラクエ5』が好きだ。僕は、『ドラクエ5』が好きだ。
『ドラクエ5』について正面から書くことはとても難しい。たとえば何について書くだろう。どの感動を記すだろう。システムだろうか。演出だろうか。堀井さんの発言を引用しようか。個人的なエピソードを挙げようか。ゲーム史における役割について分析しようか。ゲーム本来の楽しさについて言及しようか。絶妙なシナリオについて、あるいはユニークなキャラクターについて、もしくはゲームとぴったり寄り添いその世界を豊かに潤わせる音楽について。言葉はあふれだすが本流を持たない。限られたなかで魅力を述べるなら、”筆舌に尽くしがたい”とでもいうしかない。『ドラクエ5』について書くということはとても難しい。だが、強い思いは体裁を顧みず滲み出てくる。日々遠のきつつある『ドラクエ5』からの距離、数字のみで語られる『ドラクエ5』への評価、斜に構えた『ドラクエ5』評に反して盛り上がる『ドラクエ5』談義。だから僕は『ドラクエ5』について書こうと思う。忘れないうちに、矢も盾もたまらず筆舌を尽くそうと思う。たぶんここからには、僕が『ドラクエ5』を好きだということ以外何も書かれていないし、ある意味批評的な側面すらない。つまりこれは、真夜中に書かれた手紙のようなものでしかないのだけれど、僕はそれを投函しようと思う。おそらく、僕はそれを後悔しないと感じるのだ。
たとえば僕はパパスとの二人旅が好きだ。戦闘が終わるたびに、パパスが「大丈夫か?」と言って、いちいち回復してくれるのが、うっとうしいなあとか思うけれど好きだ。ひらがなしか読めない子ども時代のビアンカが好きだ。ダンカンのおかみさんがドット絵なのに厚化粧っぽくて好きだ。永遠にくりかえされる、オバケ退治の夜が好きだ。妖精が自分だけに見えるのが好きだ。妖精の国にしんしんと降り積もる、まっしろな雪が好きだ。「まあなんてかわいらしい戦士さまですこと」と言いながら、それでも用事を言いつけてくるポワンさまが好きだ。いつも頭のてっぺんの髪の毛の逆立っていそうなヘンリー王子が好きだ。「そして10年の月日が流れた……」の文章は、はじめて見たとき背筋に寒気が走ったくらいショックだったけれど、好きだ。タルに乗って脱出するのが好きだ。海辺の修道院が好きだ。カボチ村もさいしょは嫌いだったけど好きだ。ルラムーン草の何をどうしたらルーラが使えるようになるのかわからなくて好きだ。フローラとの出会いのシーンが好きだ。ビアンカとの再会のシーンも好きだ。水のリングのある滝の洞窟が好きだ。結婚前夜、ふらふらと町をさまよい歩くのが好きだ。ビアンカが眠らずに窓から夜空を眺めているのが好きだ。たまにはフローラを選ぼうと思い、せっかくそうしたのに、一時間くらいして「やっぱり違う!」とリセットを押して前のセーブデータに戻るのが好きだ。あるとき、妖精の姿を見ることができず、いつのまにかおとなになっていた自分に気づかされるのが好きだ。何気ない人々のひとつひとつのセリフが好きだ。入浴中のひとに話しかけるのが好きだ。双子の男の子の「わー! あなたがボクのお父さんですね!」が好きだ。石にされていたビアンカの呪いを解いたときに、男の子はえんえん泣いてビアンカに甘えるのに、女の子は「お母さんがこんなにきれいな人だったなんて……。お父さんもけっこうすみにおけないわね」なんて、みょうにクールなのが好きだ。ビアンカの「ねえ ○○…。ふしぎだと思わない? 私は小さい頃お父さんやお母さんはずっと昔からお父さんお母さんなんだって思ってた。でもみんなこうしてお父さんやお母さんになっていったのね」とかもう、好きだ。ブーメランでモンスターのグループをいっぺんにやっつけるのが好きだ。新しい大陸で、はじめて出会ったモンスターとの最初の戦闘が好きだ。いきなりザラキを使われてぎょっとするのが好きだ。お店の裏からまわりこんで、カウンターの中にある宝箱を開けるのが好きだ。はぐれメタルをやっつけるのが好きだ。ことに会心の一撃で倒すのが好きだ。不必要にレベルを上げて次の町を目指すのが好きだ。小さな島にぽつんと立っている立て札を読むのが好きだ。塔の最上階から飛び降りて、いっきに下まで落ちるのが好きだ。ルーラを唱えて、天井にごつんと頭をぶつけるのが好きだ。さいごのカギを手にいれて、今まで立ち寄った城や街を再度たずねあるくのが好きだ。最強の装備をそろえるのが好きだ。平原を歩くのが好きだ。船旅が好きだ。マスタードラゴンの背に乗って空を自由に飛びまわるのが好きだ。ステータスウィンドウの主人公の肩書きが、どんどん移り変わっていくのが好きだ。まっくらな画面に映像がうかびあがって、おなじみのあの音楽がスピーカーから流れだしてくる瞬間が好きだ。オープニングが好きだ。エンディングが好きだ。ビアンカのせつない表情が好きだ。パパスの笑いかたが好きだ。ドレイになって石にされてモンスターをひきつれて旅する無口で苦労人の主人公が好きだ。
やっぱり、言葉はあふれて本流を持たない。そして何かを好きだと表わすことはとても難しく、とてもとても恥ずかしい。しかし、それらの体裁を顧みず滲み出る強い思いを信じずして何を信じるというのだろう。僕は『ドラクエ5』が好きだ。僕は、『ドラクエ5』が好きだ。
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